« 靖国参拝を米国が許容できない理由 WEDGE 1/8付記事 | Main | 寒音・冷音 »

January 10, 2014

甲午という年

今春の雑誌に盛んに出てくる甲午の年。2回り、つまり120年前は日清戦争が有った年だそうだ。日本では日清戦争と呼ぶが、中国では甲午戦争と呼ぶらしい。
私の認識は、近代化に遅れた清の艦隊と、近代化を急いだ日本海軍との実力差が一つの特徴であり、第二に三国干渉されたという、日本というよりは東洋の西洋に対する屈辱の証拠のようにも思える。

太古の昔から日本は国として中国や朝鮮(半島の国々)を恨んだことは基本的にない。倭寇など一部に野蛮な日本のイメージがあるとしても、元寇もあったわけで、いくら秀吉が攻めたと云っても、明治期以前の極東の関係というのはいたってイーブンだったとおもう。

少なくとも日本は漢字文化圏だし、明治の元勲の時代までは日本人も古中国語の読み書きはできた。その意味で、広範囲な中華文化圏の一員だったはずだ。たしかに、レ点を打ってみたりして変な読み書きをすることば事実なので、他国の如く素直には使っていなかったが。

次に、現在の日本はそんなに右傾化しているだろうかという疑問点がある。大方の一致した意見は、そんなことは無いということでお仕舞のはずだ。現代の若者に戦争を強要するような徴兵令を出した場合を仮に想像すると、大パニックに陥る危険性を感じる。もう、この国は、国を挙げて戦争をするなどという意欲は何十年も前から持ち合わせていない。

何時だったか、初めて韓国に観光旅行したときのツアーガイドが、「国防」は韓国男性の義務だと、キッパリと説明していたが、日本において、そんな精神はとうになくなっている。

国防が、国民の義務だと誰が言うだろうか。
でも、これはおかしな話でもある。自国を自分で守らなくて良いと思う国民性というのは、何処かが歪んでいる。近年急に発生した日米同盟という変な概念のもとになってる、核の傘下(条約)と、戦後連綿と夢を見続けた社会主義的互恵の精神の源にどっぷりとつかっているこの国の文化的偏向があるといってもさほど大げさではあるまい。

僕が若い日々に随分とスイスを訪れ、スイスの人々との会話を交わす過程で、この国のナミナミ成らないタフネスと遠望深慮を感じた。どこの家にも核シェルターはあるし、毎年、兵役訓練に男性は駆り出されるし、各家庭には軍用ライフルが必ず装備されていて、一たび国難に遭遇すれば、たった2時間の間にタチドコロに200万人の軍隊が出来上がる。人口500万人の国だ。スイスのパンがヨーロッパ一不味いという話もあるが、あれは、必ず一年分の小麦を備蓄して、その古い方から食べているからだと聞いた。

永世中立国というのは、平和のイメージ一色のような錯覚をもたらすが、実は今書いたような準備と覚悟の上に成り立っている立場なのだ。

此れと比較して、我が国は一体どうなっているのか、冷静な議論がなされたことが有ろうか。

平和主義者であるという事は、別に首相が自ら言わなくても、みんな平和主義者に違いない。ので、あえて、云うまでのことは無い。問題は、如何にして平和を維持するか、それだけだ。他国と諍いを起こしつ、平和を祈念するというのは、いささか詭弁である。
ただし、へつらう必要は全くない。


(Df 24-85 G VR)
Dsc_0623







|

« 靖国参拝を米国が許容できない理由 WEDGE 1/8付記事 | Main | 寒音・冷音 »

Geographical Insight」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




« 靖国参拝を米国が許容できない理由 WEDGE 1/8付記事 | Main | 寒音・冷音 »