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March 08, 2015

写真の行方

Img_2397
(Canon 6D Sigma 150/2.8 Macro)


金曜日は忙しい日だった。
早朝、青山一丁目近辺の病院で昨年10月以来のインプラント再構築の続きをやってもらい、多分あと1-2か月で完成しそうな所までこぎつけた。ランチョンがあって、午後から丸の内、渋谷へ、そして茅場町へと移動し、夜半まで痛飲…。というわけで金曜日のアップデートはサボってしまった。

ところで、その午後のひとしきり、久しぶりに僕が勝手に師匠と思っている大先輩と写真談義ができた。酒も飲まずに語ったので極めて短時間だったが、有意義だった。

近年の写真はほゞデジタル一色になってしまって、PSなどでいくらでも調子を弄れるけれど、フィルム時代の粒子の再現は結構難しいという様な事に話が行った。

これから写真と云うものは一体如何なってしまうのだろうか。人知れず不安感が過(よぎ)った。フィルム時代のややクグもった非現実的な印象から、超リアルな再現性を持つデジタルはともすればツマラナイ表現媒体になりかねない。油絵と比較した時の古い写真との違いの様な事が、フィルムからデジタルへの移行でも起こっている。粒子が無いのだから当然かもしれないし、不確定性をはらむ化学反応から演算の結果の表現へと変化したのだから仕方がないのだろうか。

ウヰスキーを飲みながら思うのだが、単式蒸留というアナログ的な蒸留法がウイスキーやブランディーやラムや焼酎、泡盛などに至るまでかなり繊細なスペクトラム演出する代わりに連続蒸留による甲類焼酎が単なるエタノールの味しか醸さないことに似ている。まあ、甲類焼酎とウォッカは明らかに味が違うし、微かな部分で風味の演出は成されているのだろうが・・。

35mmフィルム式カメラの魅力もまたそんなところにあった。フィルム面積を切り詰めて小型化と高画質との接点で約数十年の繁栄を遂げたフォーマットにはそんなクグモッタぬくもりが有った。どんなに高精細なフィルムを使っても粒子は必ず見える。だから引き伸ばしの際に使ったスコープでは粒子を視ることでピント合わせが出来た。

全紙大に伸ばせば相当な大きさで粒子は見えたし、またそれが一種の安心感と詩情を奏でた。
一方デジタルでは、1200万画素級でさえ、全紙プリントでも粒子は見えない。ややボケが見えると云う人は意地悪く見ているだけであり、写真の質としては限りなくリアルだ。

この事は、フルサイズから4/3rdsまでは「タイ」と日頃主張していることと平仄があっている。

量らんや、シリコンセンサーは長足の進歩を遂げて、フィルム時代の100倍程度の感度でも写せるようになってきた。このことによる、被写体世界の広がりの恩恵は計り知れない。ストロボはプロ級写真のライティング用以外にはあまり必要が無くなってきた。嘗ては、素人写真の最初のアクセサリーとして垂涎の道具だったのではあるのだが・・・時代の変化は速い。

かつて、オリンパス最初のマイクロフォーサーズE-P1にはストロボが付いてなかった。開発担当の説明ではストロボは無い方が自然に写せるということだったが、僕もそれには大賛成だった。ところが、E-P3になった途端に内蔵ストロボは復活してしまった。当時のマイクロフォーサーズのセンサーはその程度の限界があった。でも、近頃のはそうでもなさそうだ。感度は数倍(2段程度)良くなったような気がしている。

で、最近愛用している1インチセンサーも供連れで高感度が良くなっており、ISO1600はおおむね許容範囲であり、F1.8のレンズは換算F4.5程度の被写界深度を持つので、夜間室内で十分に写せる。

僕か9歳のとき生まれて初めてオリンパスPENで写した写真はカメラを渡してくれた亡父の写真だった。今でも覚えているが、F1.9のレンズで1/8のシャッターを切った。PENのF1.9は換算F2.8程度の被写界深度だ。目測測距で写したので、父の姿はボーっと写っていた。
其のネガは今では何処にあるのか不明だし、間もなく荷物を処分することになるだろうから、二度と手元には戻らないかもしれないけど。記憶の中に焼きついた一枚だ。

ネガ現像から印画まで一連の化学処理が出来る様になったのは10代の半ばごろだった。この奇跡のような現象に心躍らせた。最初は全てfujifilmのパッケージ処方薬を使ったが、その内それでは気がすまなくなって、単剤を揃えて気ままに色々試してみた。だから子どものころは最も有名でポピュラーなコダックD76は買ったことが無かった。今でいえば、ジェネリクを自分でやっていた。もっとも、コダックの製剤は1ガロン用だったので、ちょっと使いずらかった。4本タンクは1Lだったので、ちょっと欠量が起こる。そのあたりは希釈で誤魔化していた。
当時35mmフィルムの現像は如何にして微粒子化させるかに注力したので、希釈現像が流行りだったし、そのまま捨てられるので使い易かった。微粒子化させるとラチチュードが十分出ないという副作用があるので、この辺り失敗すると画が無くなってしまう危険性もアリ、その点複数のカメラで写すことには意味が有った。一度集合記念写真を任されたことが有り、うっかりしてネガを薄くし過ぎてしまった。幸い、中判と35mmの2台で写してあったので、何とか濃度を出して切り抜けたが、冷や汗ものだった。それ以来、記念写真は引き受けたくなくなった。

カラーの時代に入り、自家現像はホンの1-2例を除くとやったことが無い。また労多くして無意味だった。特にポジはフィルムの特性を良く知って上手に写さないと、真っ黒が真っ白に飛んでしまうのが厄介だったし、フィルムが高価で、素人としてはやや苦手な素材だったが、製版用にはこれしかない。感度も低いし、昔のレンズは明らかにフィルムに負けていた。だから、判が大きい程良いという時代が長く続いたのだろう。

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デジタル万能の時代になり、いったい、写真は何所に行くのか・・・自分自身に問いかけても、答えが見つからない。人によっては、動画の切だし(知り合いの画家のご子息の言葉)とも聞いたが、其ればかりでもないものの、俳句の様な窮屈をよしとしするアートとしてニッチを探すのか、あるいは何なのか・・・生涯答えは見つからないかもしれない。

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