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April 17, 2015

すみ家というもの

L1020367

(ライカ X Vario)

人は必ず棲家というものがあり、青空の下が良い場合もあるが、大抵の人は家に住んでするだろう。
この国ではその昔まで大家族で棲むことがあたりまえで、亡父の実家なども親子3代で暮らしていた。そんな古い生活スタイルを眺めた幼児の頃、不思議な違和感を感じた。僕は高度成長のころ少年期を過ごしたので、核家族という新しい生活スタイルに育った当時の新人類だっからだ。

普通の場合、家は一軒あれば済む。でも、主がいなくなった後の家というものは自然と生命力が弱弱しくなって、主の後を追う。それがこの国にある家というもののようだ。

近い内に僕の生家を処分することになった。それはそれでとても面倒な事が多いのだが、何か自分が育った家を全てイレースするというのは、粗大ごみを捨てるような感じで、面倒さばかりで、殆ど感慨が起きない自分の感性の異様な状態を不思議に思う。

色々と記念になるものが一杯詰まった家だが、何も惜しまずすべて捨ててもらう事にした。僕自身、既にその家に住まなくなって40年が経過しているのだが、何も困ったことが無いのなら、もう何もいらないのだろうとさえ思う。いや、曾祖父の遺影ぐらいは持ち出すだろうか。

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