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September 27, 2015

トリミングの是非について

若干都市伝説のきらいがある話。

アンリ・カルティエ=ブレッソンは50mmレンズだけで、トリミング無しの作品ばかり残してたといわれている。これには多くの異論もあろうが、「スクラップブック」(岩波書店)のコンタクトプリントを見る限りでは確かにトリミングはしていない。

同書によると、かれは生涯に数万枚のショットを写したというが、数万枚であれだけの傑作が次々と出てきた辺り、やはりただ者とは思えない。

アンリは、「人を写すことは罪深い。だから、その人に最大限の敬意(配慮)を表さなければならない」という趣旨の言葉を残しているそうで、心が引き締まる思いだ。

広角域になるとパースが劇的に変化するので、トリミングはあまりやりたくないところだが、僕の場合はヘタッピ100人力なので、70mmよりも長焦点域では結構トリミングするようになった。まあ、標準ズームというだらけたレンズを常用しているので、70mmよりも伸ばしたくても70mmでしか写せなかったというのが多い訳だ。

でも、やはり、50mmで写したものを70mm相当にトリミングしてもパースは変わってしまうので、気分が悪い。視神経の表現手段としての画角は精々長くても50mm程度が適切と思われる(28-50mm域ともいえる)ので、それを切り刻むと、本当に視神経を切り刻んでいるようで気持ちが悪くなってくる。こういうのって、あまり普通の気持ちではないのだろうか。そして、100mmを超えると肉眼視覚感覚を超越した微細撮影の様な気がして、これは別世界を写しているような気分になる。すると、僕はとたんに異邦人に化してしまう。

まあ、100mmを超えて来ると、パースなんてものはどうでも良いともいえるのだが・・・今回は長い領域が多かったので、思い切りトリミングしている。よって、ヘタッピがもっとヘタッピになるようで怖い。写真は練習して上手くなる物ではないと痛感する。ヘタッピ異邦人が写した一枚を下に掲げる。画素数は幾ら多くても問題ないと嘗て誰か有名プロの方がノタマワっていたが、その趣旨がよく判るようになってきた。PCさえ問題なければ、今日画素数が多くて困ることはなにも無い。(連射10枚とか必要な場合を除けばだが・・・)
もちろん、非力なPCで遣らかそうというのは論外であることは、痛い程感じてきたこの数年だ。

ようは、テーマ性の問題なのだが・・・。
「ぞうさん、ぞうさん・・・」(レンズが長いのね)と口ずさみつつ、佐久間象山の事ではないと、戯言をいう。

Dsc012401

この一枚、この子がバス停で一瞬見せた仕草をパチリとやった。子供らしい仕草が素敵に思えた。その後何枚も写しているが、二度この仕草はない。かつ、焦点距離が適切とは思えなかったので、大幅にトリミングした。

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