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November 03, 2015

写真の枠(わく)

Dsc014172

「枠」と云っても、額装やパネルの事ではない。いわば、写真の品格とでも意訳すればよいだろうか。
恩師曰く、
写真家が狭い”写真”という牙城を守っているつもりの間に、写真界の外から、芸術的にも技術的にも変革の波が押し寄せ、いわゆる”写真家”が取り残されてしまっているように思え」る。

この思想は真に素晴らしくて、そのような大器の中で、無邪気に学ばせてもらっている自分が幸せだと思う。

とはいえ、僕はハナから品性が良くないので、なんで写真は4角くなくてはいけないのか、とか、凡そ類人の考えない様な事を考えてしまうので、質問したら叱られそうでぴくぴくしている。

今の僕は、枠を超えようとモガくほど、新規性をともめるほど、行き止まりなのか、行きすぎなのかが判らなくなってしまう。

ミロは天才(画家)だが、当時の人が最初に見た時、どう思ったのか興味深い。僕が30年前に10年以上毎日その真筆を背にしながら仕事をしていたことを書いたが、これが凄い画家だと聞いて、急に良い画に見えるようになった辺り、人間と云うのは、どうにもならない下物である。

アートに関しては、何世紀も見慣れて来ると、世間の評価も随分かわるものだろう。ロマネスク様式の画を一瞥すると、現代人ならば「稚拙」に見えるかもしれない。でも、当時は最高権威の宗教画であったわけで、それ以外に昇天への道しるべは皆無だったんだろう。

モーツァルトの悩みもそのあたりに有り、父の死後の作風が変わったという論説もあるけど、既に彼の曲は今日的には普通の心地よい音楽として浸透していて、彼の悩みが本当にソコイラ(新規性)にあったとしたら、我々は相当の恩恵に浴していることになる。僕は迂闊にもアマデウスはチョイチョイと、当時の貴人たちが喜びそうな曲を大量作成していたコンポーザーだとしか思っていなかった・・ので・・。

枠を超える時、別の云い方をすれば「枠を広げる時」、それを「新しい」と暫定的に位置づける行為は、慧眼であり、新しい事が全て将来クラシックになるわけではなく、大部分は淘汰で消えていく。

いま僕がしようとしていること、それは、延命でも、美味い物を食べる事でもない、「新しい」何かを発見できて、それが残せたら本望なんだけと・・・。

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