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November 28, 2015

なぜ写真を写すのか?

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なぜ写真を写すのか、というのは極めて愚問であり、答えは人それぞれだろう。

プロフェッショナルならば、それが生業(なりわい)であり、それ以上の答えは無い。ところが、特に日本人はそうなのだが、誰でも写真が写せる時代が半世紀も続くと、この疑問が再び意味深くなる。

(注 植田正治が「生涯アマチュア」と語ったことは有名だ。彼はプロだったけど、写真を写すことは彼の生存そのものであり、写真が幸せと思ってたことを抽象的にいったのだろうか。世のプロ写真家の名誉の為に注記するが、ほゞ全てのプロは同じような気持ちがあるはずだ。写真を写すことが好きが先で、プロはその後の経過なのだろうと思う。そして、プロに成れなかった人はアマチュアに分類されるということだろう。だから植田は「生涯アマチュア」と云ったのではないか)

記録の為に写すという答えが最も多いだろうか。子供の成長を記録したい親の存在も大きい。綺麗な写真を写してみたいというのもあるだろうし、絵画はハードルが高いので、写真にしたという人も多いだろう。

では、僕の場合はどうか。
第一の答えは、楽しいから、だ。
ファインダーの中に幸せがある・・・という趣旨の事を植田正治が云っているが、その物ずばりだとおもう。写真すると云っているが、正にその通り。
僕も9歳から写真機を持って写してきたが、写真を写すというのは、一種の心躍り、かつ心休まる瞬間でもある。
まして、それをプリントするというのは、甚だしく興奮する行為だ。モノクロの時代には写し手から、フィルム現像、焼き付けまでの一切の行為が楽しくて仕方が無かった。

デジタルになって、カラープロセス一切が自分の手で出来るようになった事は、夢のような出来事だ。

僕の父は大正生まれだったけど、子供の時に一枚撮りの写真機を持っていたという。父は、生涯写真好きだった。僕はその父の影響で、子供の時から蠱惑的な写真世界に吸い寄せられるように写真を写すようになった。

でも、今現在、僕の答えはチョッと違う。
第二の理由がある。
この世を写しきらないでは死ねない。と思うようになった。
言い換えれば、生きる糧でもあるが、自分が生きている時間よりも生きていない(死んでしまったあとの)時間の方が無限大に長い訳であり、自分が写した写真が残ってくれたならどれ程うれしいだろうかとひたすら願っている。

ともかく、写しきるまでは、死ねないのである。

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