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December 21, 2015

空気が写るというのは何か (2015年末の考察)

今回、年末になってHeliar 75/1.8を手に入れたのは、長年の不思議があったからだ。

「空気が写る」という言葉はどういう事なのかここ数年不審に思っていた。人によって、いう事が違うし、僕の思っていることとも違う。

大別して、二つの説があるのではないか。

その一は、所謂フレアが綺麗に写っている・・・という俗説・・と、僕は思うのだが。だって、フレア満載が「空気」の描写ならば、そんなのコーティングが悪い下らないレンズでいくらでも写せる。PSでレタッチしたら幾らでも「空気」は足せることになる。

其の二番目は、写らないはずの空気まで写すしてしまう程に清々しい描写という考えだ。つまり、本当は空気は写っていないのだけど、その空気感が出るレンズという素晴らしいレンズのこと。・・・僕はこれだと思ってきた。

で、例の木村伊兵衛のHeliar伝説を知って、本当にHeliarってどうなんだろうかと、暫く思案していた。Heliarの命名は100年ほど前にVoigtlanderが付けたもので、三群5枚、凸凹凸で前後の2枚がダブレット、硝材の詳細も明らかになっている。

昔の写真師は、桐の箱に仕舞って、誰にも触らせなかった程の名玉だったという都市伝説まで残っているし、昭和天皇の御真影のレンズはHeliarだったという伝説まである。

Heliarはトリプレット系の三群レンズで、テッサー(カールツァイス)と同様にバックフォーカスが取れなかったので、一眼レフ用は多分無い。
コシナが標準系の沈胴式など幾つが出しているらしいが、僕はその個体を使ったことが無かった。今回ひょんなことから、某カメラ商会の在庫を手に入れたのが、75mmF/1.8というHeliarにしてはべら棒に明るいレンズだった。厳密には第2群がダブレットになっているので、古典的なHeliarとは違うが凸凹凸の三群であることには変わりない。硝材の詳細など知る由もないが、コシナはこれをヘリアー・クラシックと呼んでいるのだから、古典的な写り方を期待できると思った。

写す前から予想はしていたのだが、非常にヌケの良いレンズだ。レンズ構成から予想した通り、フレアーとは無縁にも思える。

やはり、木村伊兵衛が言ったのは、二番目の事ではないかと、確信しつつあるのだが・・・。つまり、写る筈のない空気が感じられるほど、澄み切った写真が写せるという意味ではないか。

まあ、現代のプラナーも良く写るけど、ヘリアーの様な原始的な雰囲気ですっきりとヌケているのとは少し違う。まして、ディスタゴン(レトロフォーカス・・・テレセントリック的になり易い現代的レンズ)の様にバリバリに光路をいじくりまわしているのとも違う。
なんというが、硝材による減衰が少ない光が其のままセンサー(フィルム)に届くというのか、これは、かつてテッサーで感じたのと同じなんだけど、レンズ枚数が少ない程、いい感じに写る様な気分がする・・・ということなのかもしれない。

カールツァイスは否定すると思うけど、トリプレットはその後Zeissのエルノスターという形式や、テッサーという形式に発展する。テッサーは、トリプレットの後群をダブレットにしたと考えても良い筈だけど、Zeissでは否定しているらしい。
また、エルノスターは、トリプレットをテレフォトにして、比較的長い焦点距離を得ている。このエルノスターの発展系がゾナーの始まりだ。初期のゾナーの光学系はエルノスターの1群と2群の間を硝材で埋めてしまうという手法が入っているので、パワーが前群に寄る、で比較的画角が広く確保できたのかもしれない。後群は各ゾナーによって色々あるところが面白い。

一方、フォクトレンダーのヘリアーという名玉もトリプレットからの発展系だとおもうけど、これはここで、一応完成した、古典的銘玉だ。そして、その後、トリプレット系の宿命であるバックフォーカスの問題からなのか、一眼レフ用にはその存在を見たことが無い。

現代では知られざる、シンプルで良く写るレンズだと思う。

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