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April 03, 2016

現代写真の課題

韓流ドラマが好き、それも時代物、李氏朝鮮時代のドラマが好きだ・・・まあ、ハ・ジオンさんのファンだということも影響している。(ハ・ジオンさんの最大の作品は奇皇后なのでこれは高麗時代・・・ちょっと違うなぁ)

なにやら書き出しがおかしいので、主題に移れない。なにを書きたいか、今のFHDハイビジョンは鮮明過ぎる程鮮明に映る。高々200万画素・・・まあ、RGBなので600万画素と云って良いのだが、これでこの世の中はまるで手に取るように良く見えるようになった。正にテレ・ビジョンその名の由来の通りになった。

これって、今じゃああたりまえだけど、20世紀には無かった現象でしょう。そして、液晶がとてつもなく廉価になった。世の人々は液晶といえば一通りと思っている人が殆どとだけど、液晶こそ、バージョンが無数にあるメディアだ。数万通りでは効かない程の違いが有る事、あまり知られていない。

NHK大河ドラマ「平清盛」の画像がなんか黄色っぽく、ホコリが多い様で、何処かの政治家が無知な事を言ったとか云わなかったとか・・・そんな話もあったが、流石NHKはプロなので、液晶FHDでは写り過ぎることを気にしていたんだなぁ、最初から・・・。

現代スチル写真もデジタルになってから写り過ぎる傾向が強い。既に135判デジタルカメラは中判フィルムの解像度を超えているし、ダイナミックレンジに至っては・・・もう、何もいらない程広くなった。色再現も、派手過ぎる傾向が強い。まあ、この辺はミーハーターゲットのカメラメーカーの陰謀であり、そのことをマーケティングとも呼ぶ。

いずれにしても、フィルム時代に135判がここまで克明に再現性を見せたためしはない。

これが、実は写真の写真性というか、それらしさ、写真の原質を著しく可笑しなものにしていると、思う人は少なくないのではないだろうか。

無い物ねだりといえばそれまでで、フィルムの時代には如何に透明に、粒子が見えない画像に出来るか、苦心したものだが、良く写り始めると、途端に不満が出て来る。

写り過ぎる。ただ、それの一言だ。

リアルに写しだす、その性能という意味では、フィルムの100倍以上の性能になったデジタルカメラは既に夢の写真機ではなくなってしまった。高性能コピー機のようだ。

その結果、潤いが涸れてしまったような気がする。

・・・つまり、レタッチなしで写真は語れなくなっているという、やや突飛とも思える結論を述べようとしているのだが・・・フィルム時代に自家現像する人は当然すべてに亘ってレタッチしていたわけだが、現代デジタルはカメラが優秀なコンピュータなものだから、カメラが勝手にレタッチして、それをピクチャコントロールとかなんとかいってカテゴライズしているだけであり、それを持ってレタッチしない事がストイックであるかのような風潮が見られるが、これはとんでもない誤解であり、単にカメラ屋にDPEを頼んでいた時代とおんなじで、DPE屋の良い様にプリントしてもらって、「どうだ、良く写っているだろう」といっているような呑気な父さん以外の何物でもない。

自家現像していた人ならば当然理解してもらえることだけど、写真はピントから露出決定、そして現像、プリント全て自分の責任でやらなければ出来上がらなかった事の方が多い。もちろん、ポジ入稿という、プロの仕事もあったわけだけど、ほとんどのアマチュアはポジというのはプロのモノマネでしかなかった。別にポジで写せばプロに成る訳ではないけど、ネガよりも高等技術だとされてきた。これは失笑ものだ。もちろん、ポジはラチチュード(ダイナミックレンジ)が狭くて、難しい素材なのでそれこそプロ並みの技術が必要だったことは事実だ。

さて、本題からいささか離れてしまったので、話を戻す。
今のデジタルは写り過ぎる。これを良く理解して、作品に仕立てるには、独自のプロセス哲学のようなものが無いとただの高級カメラ好き呑気な父さんで終わってしまう。つまり、どの様に表現し、仕上げたいのか・・・それが無い写真というのは、単なる偶然のコピー用紙のでしかない・・・と思う。のだが。

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