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April 22, 2016

岐路

僕は今度の7月に生業を止めて、無職になる決心をした。この事は既に3年前から考えてきた。年を取ったとはいえ、まだ充分に若いので、普通の人だったら生業を止める決断はしないだろうなと思う。要は、普通であれば自分の意思で生業を止めるタイミングにはちょっ早いのだけど、このままズルズルとしていると、自分がすり減ってしまうと思ったから、やめることにした。

ずっと思ってきたんだけど、カネを稼ぐのは人生の目的ではない。それは手段だ。

死んでしまったら、自分の物は「ホネ」ぐらいしか残らないという事を考えると、とてもそうはなりたくないという自分が、ココにいる。

せめて、写真の一枚でも「生きた証し」に残したい。
そう思うようになったのは、自分の寿命が見えてきたころだった。

2013年の秋、そのような決断をして、このブログにそのことを書いたことが有る。このブログの熱心な読者でいらしたDAIGAさんから手酷いコメントを頂き、僕も大変憤ったので、1日でそれまでの数千ページの記事を全部消した。そして、ブログを作り直した。
DAIGAさんはそれまでとても好意的なコメントを入れてくださっていた立派な写真家でいらっしゃるけど、僕のヒョウロク玉のようなブログで、あまり人がやらない決意を僕が表明したものだから、不謹慎だと思われたのだろう、大変お怒りだった。吉村朗の払った犠牲を知っているのかと云う様なお話も書かれていた。僕は吉村さんのような偉大な写真家になれるとはとても思えないけど、犠牲は払うつもりで、今日まで過ごしている。だって、すべてを一点に掛けて投入することは、本質的に犠牲ではないから。毎日をただすり減らすだけの、わくわく感が無い暮らしの方がヨッポド犠牲だろうと思うから・・・。

でもいいじゃないか、人生は兆戦しなかったら、骨になるのをただ待っているだけの、退屈な時間でしかない。で、そうはなりたくないと思ったんだ。そして、その記録を残したいと思った。

それが、現在の「Kuusuke クロニクル」だ。このクロニクルは、あと何年か分からないけど、一人の人間が人生の最期をどの様に始末をつけるかについて、毎日の記事でライブ記載しているに過ぎない。書き込みのない日は、二日酔いとかで具合の悪い日だ。

あと、何年やれるかどうか、予測はできないけど、其のために残りの命を賭けてみたい。

そう思うと、なんだかすっきりして、清々しい気持ちになっている自分がある。

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