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May 01, 2016

春画は猥褻ではないと誰が決めたのか

昨年、春画展の話題がNHKでも報道されるという事態が起った。それほど、話題性が高かったのか・・・。

でも、いったいいつから春画は猥褻ではないと、誰が決めたのか??

疑問だらけだ・・・。僕が思うのに、春画は猥褻な目的で製造されたものが、200年近くの時を経て、訳が分からない画になっただけなのではないか。

春画が良くて写真がイケないというならば、その違いは何なのか・・・木版画は良くて、銀塩やインクジェットはイケないのか、解像力の問題なのか、輪郭線の存在なのか・・・なんだぁ。こりゃ。

写真と版画の違いが定義できなくなってきているのに、・・・これって、何なのだろう。版画の様な写真ならばOKなのか??

広義の版画風ならばよくて、写真風ならイケないとすると、写真に対する侮辱ではないか・・。

あるいは、100年以上前に写したらOkなのか。

困ったものだ。

「猥褻かどうかは、時代と共に変化する」という説明が多いが・・・これって、馬鹿じゃないのかと思う。時代と共に人間の本能が変化するかのような、とても不合理は話になるからだ。つまり、社会が「猥褻」として非難するかどうかの尺度が時代と共に変化するならば、少し判るけど、その「社会」とは何かが問題だ。社会という実態は得体の知れない存在であり、結局権力主体が決定する事以外の何物でもない。
権力主体(主権)は、かつては王様なり、何なり、いわゆる偉い人だったのが、民主主義という近代の新発明によって、いつの間にか、平民の権利の如く巧妙に擬態した、為政者の権力に変質している。理屈上は、平民が選挙によって選んだ政府の権力なので、平民起源というのは詭弁であり、時の政府というものは、自在に勝手に権限を行使できる環境がある。これは、別にどこかの国の独裁政党でなくても、どこでも本質的には同じだ。

独裁者は英語風にはディクテイター(dictator)と云われるが、これってジュリアスシーザーの最終肩書きだったそうだ。原始共和制国家であるローマでさえ、独裁者が居たという事だ。

猥褻かどうかなんて、些細なことでかまけていないで、もっと自分の人権が深く侵されていないか、良く考えた方が建設的かもしれない。

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art culture」カテゴリの記事

Comments

>時代と共に人間の本能が変化するかのような、とても不合理は話になるからだ。

本能的な部分は同じなのでこのジャンルは未来永劫続くでしょう
しかし我々自体は環境によって大きく変化してしまったのです

木版画は絵師がいて彫師がいて刷り師がいて版元がお金出して初めて
成り立つ当時の最新技術でそして当時すら公的権力によって多くの規制
を受けたメディアでありそれでもなお春画が今も残っているのは当時
もギリギリの挑戦をし続けた方々がいたおかげではあるのですが
正直今春画を見て劣情を大きく膨らませる方は相当マニアックでしょう

何故なら春画より遥かに過激で肉感的で色彩豊かでエロティシズムの
ツボを押さえた雑誌がコンビニにたくさん並んでいますから

そうした物が溢れた環境で生きる我々の感覚が既に春画に猥褻さを
感じさせない状態になっていると俺は考えます

西洋絵画も長らく教会という巨大なスポンサー兼検閲機関によって
モチーフすら決められてきた歴史があり自由に好きなものを描ける
ようになったのは比較的近代です
そして西洋の猥褻にはモザイクはありませんし昔の絵画よりやはり
エロティシズムに富んだ物があふれています

いまだ明治時代の法が沢山残るこの国でも赤線が公然とあった明治
の湿板写真で撮れるエロティシズムくらいには猥褻の基準が変わって
しまったようです

自由な表現者たろうとする方には面倒極まりない曖昧な基準では
ありますが何も基準が無いよりは与し易く限られた表現で最大限の
ギリギリを攻めるのも案外面白いかもしれません(と冒険しない臆病
者がテキトーにお茶を濁します)

Posted by: . | May 02, 2016 03:46

なんだかなぁ。意外なところで、怒りがこみ上げてくるような今日です。

Posted by: くーすけ太郎 | May 02, 2016 16:35

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