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August 09, 2016

これも花火だ

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これも花火だ。

そもそも、花火とはバーンと花が開くようになるというステレオタイプを捨てた時どうなるのか。
知人が通常シャッターで写すとどうなるかやってみた、というのを聞いて愕然とした。

そう、実は花火は点の集合体の筈なのに、僕らのステレオタイプは花のような火なんだ。

でも、それは僕らの脳が作った画であって、本当は違うということ・・・それから始まれば、現実は如何様にも解釈できる・・・ということではないかなぁ。

ps
単細胞の無知ゆえの疑問だとおもう。
フィルムの時代とデジタルになってから、写真家は何が変わったのか。
…これは単純な疑問でもあり、写真家必殺の疑問でもある。

かつて、フィルム時代は、コマーシャルのプロはホジブィルムを写す技量が必須だったに違いない。
純粋写真ではプリントの技量が問われたに違いない。植田正治の水道橋の作品が典型だろう。

そして、デジタルになって、デジタル処理技術が必須の筈なのだけれど・・・この点、案外無視されている様な気がする。
僕の意見は、デジタル時代、自分が出力するデータのピクセル1つに至るまで管理して操れる技術がなければ一流ではない。僕が良く書く一ピクセルレタッチも含まれるし、デジタル技術について広範な知識がなければ、デジタル写真は本物にならない。既にフィルムの代替の時代は終わり、デジタルは新しい表現型として定着したのだ。

シグマには大変迷惑な話なので例えとして書いているのだが、シグマのカメラは専用現像ソフトでしか現像出来ないという劣勢条件を上手く使ってシャープ感が高いことを効果的に宣伝している。シグマの専用現像ソフトの味付けでは、1ピクセルに対するアンシャープマスクが非常に大量に使われてるようだ。
この方法は相当の効果が出ている、世の素人衆がそれ(ピクセル100%画像)を眺めて・・・「物凄くシャープ」と驚くのと同じように、デジタルの世の中では素人を驚かすことがもっとも重要になった。(シグマは素晴らしいメーカーだと思う・・・ここで決してシグマの解像力が悪いといっているのではなくて、専用現像ソフトの味付けがマーケティングのエンジンになっているとう例を述べた)

写真の本質は変わらないでいてほしいけど、既に「本質」「原質」か割れりつつあるのではないかとい危惧を感じる。

写真のブロードな性質のうち、(芸術的)純粋写真に限って述べれば、もう、ライカ使いの呪文のような精神論は陳腐になりつつあるんじゃないのかなぁ・・・とさえ思う。

「見る目」なんて高尚なテーマは習っても習得できない。見る目が無い人は一生見る目が無い。そんなこと言われて勉強する人は可愛そうだ。もともと見る目が無かったらもっと可哀そうだ。その人は写真の闇の部分に沈んでしまう運命だ。

一方、そういうこと言っている御仁こそ見る目が無くて、くそつまらないんだなぁ。
僕は、ほそほと愛想が尽きている。

「見る目・見る目」と教えられるものだから、一生懸命見てはいる。でも、そもそも、脳みそがボンクラだったら、何も感じない。で、何も感じないものを一生懸命見て、ついでに高価な高解像カメラでガチャっと撮る。パースもディストーションも撮りっぱなし、この不愉快パラメーターは素人基準のままで放置される。
つまり、技術がともなわない見る目というのは、多くの障害によって、本当に取るに足らないものになってしまう可能性がある。

要はストーレートであればそれが本当にストレートに見える事、シュールであればその技法がバレない程高度であること・・・が必要なのではないか。

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