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March 13, 2017

売れなくても良い、陳腐でなければ

どうも、年寄りになると僻みっぽくなる。
陳腐な写真が嫌いという傾向は若いときから持ち合わせた性癖ではあるものの、最近ますます酷くなってきた。

陳腐な写真というのは、誰もが素敵と思う写真と置き換えても良いのではないかと思う。

デジタルカメラが発達して、写真のすそ野が広がったことは写真文化にとって重大イベントだった。なにしろ、フィルム代タダでうつせるのだから。

その一方で、ポピュリズムが跋扈して、いつの間にか感性と手練れが混同されるようになった。テダレというのは、誰もが綺麗と思うように写せる人の事ともいえる。感性とは上手に写す事でもなく、何かを暗示するような写真を写す事でもないと思う。それは、手練れの技だ。感性とは、写真を写さない時にその人がそもそも持ち合わせている、ココロの調子であり、これは教えることも、教わる事も出来ない。

手練れ手管・・・これ、てれんてくだと読むような人が好きな写真。

そのとごが悪いとも思わないが、もともと写真術の歴史は人をビックリさせることから始まったので、同根ともいえるけど、ビックリさせるというのは、綺麗でびっくりさせるという事と、心に刺さるということの二通りがありそうだ。

近年、年末にもらうカレンダーについている写真が下手糞で見るに堪えない、仕方がないなぁと嘆く老人の呟きと思っていただきたい。

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Comments

陳腐≒ポピュラー

フォトジェニックな被写体をポピュラーに写す
一見誰でもできそうなものだが実際にやろうとすると相当な腕がいる
お約束の構図、お約束な光線、お約束なアングル……etc、etc
それらを隙なくカッチリ決めて撮るのは至難の業
まさに手練手管を全て心得ていないと撮れない(似たようなのは簡単なんですが実際のポスターやら絵葉書やらカレンダーと比較すると自分の下手さに落ち込むこと暫し)

お約束もこなせず、かといって「あっ!」と言わすような感性も持ち合わせていない

俺は一体どうすればいいんだ!! とか真剣に悩むこともなく
好きなように自己満足で写真を撮れるのがアマチュアの至福かなと思うダメ人間であります

Posted by: . | March 15, 2017 at 04:53

僕はただいま死に絶えています、通信が不安定なので簡潔で失礼します。

Posted by: くーすけ太郎 | March 16, 2017 at 22:23

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