« 朝市で… | Main | Fujifilm X-por2を使っていると、フルサイズ一眼を使いたくなくなる »

May 21, 2017

五月祭に行ってきました

五月祭で、東京大学写真文化会の作品展会場に押し入って、不躾なコメント評を残しました。その書きぶりが一部意味不明でしたので、ここで補足いたします。

僕には…訳が分からない(僕には出せない)と思った作品に出会った場合のコメントの書きぶりの趣旨であります。僕も出したいと思った作品は大いによろしいのですが、自分の理解が及ばない、いやむしろ、こんなの出せない。両方の意味で、出したくないというのと、とても作れないという意味の両方に関してです。

まず、
写し方が分かる写真は本当につまらない(下)。

一方で、
僕には写せない(上手い)と思う場合、どこかで見た様なのはやはり、つまらない(中)、勿論上手ですねという趣旨。

そして、極め付きは、
これはいったい何だと首をかしげる時、それに惹かれたという趣旨(上)、

と云うような意味で書きました。

見る者によって、印画が変化して見えるなんていうのもあり、これには脱帽しました。一瞬は、かつてのミニマリズムかと誤解しましたが、どうして優秀でした。だって、見えるものが、人によって違うんですから。

アーティストはアーティザンではないのだから、自分にしか出来ない事をしなくては何も始まらない。それを探すのがアーティストでしょう。一般の写真やってます・・・という事ならば良いけど、60年間も「文化」会を名乗っているのだから。英名U. T. Photo Art Societyでしょう。

それにしても、最近の学生は、近年急に上手になった思ったのであります。

|

« 朝市で… | Main | Fujifilm X-por2を使っていると、フルサイズ一眼を使いたくなくなる »

photo art」カテゴリの記事

Comments

フィルム全盛の時代は写真機が高かった
一眼レフはエントリーといえど学生がちょろっとバイトして買うには少々お高めでコンパクトカメラが主な選択肢でした
そしてランニングコストが高い
だから1ショットにかける集中力は今よりずっと大きかったですが、今と違って撮ったその場では像を確認できませんでしたし、何よりケチってあまり枚数撮りませんでした
だから36コマを満たすまでに大分時間がかかり現像して出てきたものを見て「こんなの撮ったっけ?」みたいなのもしばしば
これで上手くなるわけがありません

今はカメラは安くなりミラーレスによってよりコンパクト化し、なによりランニングコストはほぼ電気代のみで、プリントも全コマ現像など必要もなく好きなものだけ抜き出して自分で好きに加工して出力できる
そしてその気になればそれを世界中に公開できるし、同好の見知らぬ他人と交流したり、時に手も届かないような大先生と文字ベースで会話することだって不可能ではない

電話で写真撮るのが当たり前の世の中ですし、うまい人の写真は幾らでもタダでみられるし撮り方や用語の基本的なものは全部無料で調べられるし、中古を気にしないなら全世界から安価に好きな機材を調達できる

数を撮ること、いっぱい失敗すること、いろんな人間にケチをつけてもらうこと、そしていろんなことを試すこと

これがほぼタダで好きなだけできる
なるほど上手い奴が増えるはずです

でも写真は感性 どれほど多くの人間が賞賛していても俺が気に入らない写真は何も感じない
結局は主観的好みで、好みは人の数だけ異なるもの
いやその時その場で好みなんて揺らぎますよね(その時良いと思っても後で変に見えたり)
難しいですね

Posted by: . | May 24, 2017 at 05:59

全く同感、異論ありません

Posted by: くーすけ太郎 | May 24, 2017 at 14:19

Post a comment



(Not displayed with comment.)




« 朝市で… | Main | Fujifilm X-por2を使っていると、フルサイズ一眼を使いたくなくなる »